福島参加者の声・①

2016・春、はちみつ會の保養キャンプに参加してくださった福島の方のお声を、承諾を得て、載せさせていただきます。

お声を下さって、ありがとうございます。

 

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東日本大震災当時、私達家族は浜沿いのいわき市に住んでいました。
下の息子は3歳でいわき市でも山の方にある幼稚園の入園が決まっていましたが、山にも放射能物質がたまっていた為、入園をやむなくキャンセルしました。
ほぼ家に閉じこもりな生活、換気扇は使わない、外出時は必ずマスクを付けるなど過剰なくらい気を使っていました。
1年後は、海沿いにある風で空気の流れの良い幼稚園に入園しました。
同じ市内でも放射能数値が全然違うのです。園内も砂の入れ替えなどはありましたが、息子には、砂遊びも「だめよ。」草や落ち葉も「放射能だから触っちゃダメ。」など毎日言っていました。小さい子がその時期にいろんな遊びで吸収できるようなことは制限されました。
家に帰ってからは全て着替えることも毎日行いました。
3年後、主人の転勤先が福島市でした。私達家族はとても悩みました。福島市はいわき市と比べると放射能数値が高かったからです。
私はわざわざ数値が低い場所から高い場所に引っ越しをするなんて、息子にとってそんな酷なことはしたくないと思いました。
それで親にも相談したら家族一緒に住むのが一番良いと言われ決心をし福島市に引っ越しをしました。
しかし、私は現実を受け入れたくなくて、7月の夏休みの引っ越し後、2学期が始まるまで全国の保養をつないで1ヶ月は福島に帰りませんでした。帰りたくなかったと言うのが本心です。
2学期になり、新しい幼稚園に行くとみんな意外と普通に生活していました。
いろいろ考えすぎている私がいましたが、それでも、洗濯物は室内干しで、水道水は飲まない、外遊びは控えめになど私なりに徹底していました。それらの良し悪しは個人個人で考え方が違いますが今も現状維持です。
はちみつ薈のツアーは主人と息子は3回、私は2回参加させていただいております。
スタッフ、ボランティアの皆さんは私達のことを親身になって考えてくださり、毎日楽しませていただき癒しをいただいております。
福島の人にとっては最初は放射能からの逃げ道だったのかもしれません。
しかし、今となればまたいつもの仲間と会える、話を聞いてもらえる心のオアシスなのです。
息子も大知沢の野山を走り回り、美味しい空気をたくさん吸い込み、大自然に触れ、二泊三日、いっぱいいっぱい外遊びを満喫しております。
私達、親の方もリラックスさせていただき、毎日笑顔で過ごさせていただいております。
私達にとってはちみつ薈は場所は少し遠いですが、いつでも待っていてくれるかけがえのない存在なのです。
毎回、私達大人数を迎え入れてくれることは大変なご苦労があってのことと思います。
感謝の気持ちでいっぱいです。
息子もときおり思い出しては「はちみつ薈楽かったな!」「また行きたいな!」と言っております。
震災から5年が経ちましたが、自宅の除染作業がいまだに行われていたり、風評被害もまだあります。
そんな中でのはちみつ薈のツアーは、私達にとって心からの楽しみでもあり、この現状を吐き出させてくれる大切な場所なのです。